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加古川へ行ってきました

明石と岩屋のたこフェリ~

AM、よくラジオで聴いた懐かしフレーズであります。

たこフェリーは今も出てるの?と調べてみると、とうの前に動いてないようで。

明石海峡大橋の恩恵を受けた反面、そんな所で片や影響もあったのかと考え深い。

淡路島と明石市を結ぶ明石海峡大橋ですが、まだ私が小学生の頃に開通しました。

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それまでは高速も今のように兵庫徳島間も繋がっておらず、途切れ途切れのふるさと徳島。

実家は東かがわ市とを間に挟む徳島側の山のふもとで、高速開通と同時に家から見える高速道路は驚きの思い出でもあります。


はよ加古川行った話にいかなとは思いますが、まぁまぁ、まだ話さして。


橋ができる前までの淡路明石間は、フェリー。

たこ部屋と呼ばれる、あのザラザラした染みだらけのエンジ色のカーペット、さらにザラザラのチクチクの一枚毛布、何畳くらいか、10畳ほどのスペースに7~8人で座り込んで、楽しかった思い出です。


天理教ではないですが、天理教主催のこどもおぢばがえりとか。

グリーンスタジアム神戸にオリックス観に、外野からイチローの背中観に、とか。


明石海峡大橋にたこフェリーに。





話が変わりますが、先日1月17日、阪神淡路大震災から25年の日を迎えました。

まだ暗い午前5時の夜中、揺れに飛び起きて、父親が「テレビテレビ!」と、自分は背中を追いかけて。

離れた徳島でも、震度4強の大地震でした。



なぜ、どうして、こんな話の引き出しを出してるのかいうと、先日加古川の知人に会いに行った際、帰りに駅前のヤマトヤシキで写真展があって。

その日がちょうど震災から25年、写真など見たくもないが、こんな日だからこそ見ないといけないと思い、ヤマトヤシキ加古川で小一時間おりました。

私は直接被害に遭ってないですが、小学生の頃にもしわが身がと、考えてみると、

数十秒の揺れのせいで突然住まいや生活の基盤を失って、不安の中、周りに心配をかけまいと守ってくれる両親や周りの大人。

事故や災害が、自分の考え方にどう影響しているのかは分かりません、ですが、


今の気持ちを忘れないでおこう。





さて、本年一発目、やっとセールも落ち着きました。

明けましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

もうすぐSS生地バンチ入荷します。

はよ、冬終わらんかねぇ。

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